「ゆきゆきて神軍」、百恵「踊り子」

 夜明け前に赤坂の立ち呑み屋に寄る。ビールを1杯、ブンタン酒のソーダ割り1杯、つけもの。池袋のバー出身の人がやっていて、池袋のバーをいろいろ教えてもらう。帰りに富士そばでコロッケそばをすすってゆく。
 昼、原一男ゆきゆきて神軍」。天皇にパチンコを打ったこともある彼が、かつての陸軍上官たちを38年ぶりに訪ね歩き、ある事件の真相を究明、いや糾弾してゆく。構えて観たんだが、カラッとしてる。独特の笑いがある。笑いは主人公である奥崎謙三のつぶやきやとっさの一言にあった。吠えまくる犬に「ハイハイ、ハイハイ」と反応してたり。リアルという意味でのノイズは笑いを巻き起こす。そこをきちんと拾ってるものこそドキュメンタリーたりうるのかなと思う。活字にしても同じ。
 今週の仕事を完了させて、お次は山口百恵の「伊豆の踊り子」(1974、東宝西河克己)。山口百恵って上戸彩なのではないか。いや上戸彩山口百恵なのか。踊り子百恵が踊りながら練り歩くシーンから始まるが、そのはにかみ具合が上戸に似ているのだ。なんというか、こう、完全に女優ではない感じ。アイドルとしての一延長上にスクリーンの私がいるというような。三浦友和い。川端の顔にちょっと似てる感じ。
 そういえば、川端作品に出てくる主人公はみんな川端似を意識して使っているのではないか、という指摘を十重田裕一がしてたはずと思って探したら『文学』2004年11-12月号の「つくられる『日本』の作家の肖像」にあった。
 そこでは1954年の野村芳太郎監督版「伊豆の踊り子」で石浜朗が川端に似ていると指摘されている。「川端の作家としての価値が社会的に上昇するとともに、実生活上の情報が流通し、映画制作に反映するのである」ということだ。
 「伊豆の踊り子」は戦後、6バージョンの映画化をされている。山口百恵のはその最終バージョン。川端イメージがもっとも流通したのはノーベル文学賞のときだろうから1968年以降。受賞後制作されたのは百恵踊り子のみで、1974年ってことは、やっぱり三浦友和に川端を反映させてたんだろうかね。
 テレビじゃ2002年に後藤真希が踊り子やってる。相手は小橋賢二。ちゅらさんの。川端イメージかなあ。
 で、「後味が悪いよ」と聞いていた最後は、爆笑。巻き戻して二回見ちゃった。
 あと、事あるごとに茶々を入れてくる旅館客役の三遊亭小円遊に笑う。キザの小円遊と言われていて、笑点では歌丸といつもやりあってたという人。はじめて動いてるのを観た。やっぱりキザな役で出てた。

 夕立が凄いが、ビデオを返却しなければならない。渋谷へ。
 そこからIさんを見舞うため東横線にゆられて。茶をすすった後、ご飯をともにす。Iさんやっぱり川村ゆきえに似ているなとしみいる。というか、見舞いに行っておいて呼び出しているとは何事なのだろう。そのあとちゃちゃっと仕事をすませて帰ろうと思ったらMさん1杯どうという。待ってたらやっぱり無理ということになったらしく、ひとり池袋に行く。ベルギービールの店で四国のN先生からいただいた論文の抜き刷りを読み、そのあとグレートインディアでチキンカレーとナンを食べて帰る。