オペレッタのような人生がいい

6月はこれで最後の休みだと出征のごとき気分になりき

そんな人生最後の一日気分の一日は雨。
それでも池袋ロサ会館で「オペレッタ狸御殿」観る。
ゲテモノ。キッチュ
ツィゴイネルワイゼン」もそうだったけど、鈴木清順の撮るありふれた自然の風景ってどうしてあんなに不気味なんだろうか。今日も、普通の草むら、木の橋がかかった川、海辺、すべて気味悪く映ってた。海辺とか野村芳太郎の「砂の器」のそれのようでうそ寒いというか何と言うか。
そして時代も安土桃山、南蛮幻想の時代ですから、キッチュ悪趣味になりにけるのもむべなるかなである。
人間の姿をした「狸」姫(チャン・ツィイー)と美男子雨千代(オダギリ・ジョー)の恋物語とそれを邪魔する平幹二朗由紀さおり薬師丸ひろ子。という物語。
オペレッタなので、みんなそれぞれ歌う。なかでも狸家老役、うっかり八兵衛でおなじみ高橋元太郎がうまくて可笑しかった。けど、歌へのつながり、持ってき方がやや唐突でぶつぶつ切れてる感じがした。場面もブツブツ、イメージの飛躍というか、写真集を見ているみたいだった。
まあ、それが夢物語の「夢」らしさを出していたのだと思うと、キッチュな色の世界、物語の飛躍、納得はいくのだけれど。
「鴛鴦歌合戦」(マキノ正博)は最後、キャスト全員がカーテンコールみたいに出てきて、映画そのものが「お芝居だったんですよ」的に終わって、その割り切り方がオペレッタという非現実的なものをよく言い表していて、感激したのだが、今回はそうはいかなかった。そんなところが物足りないというか、もっと芝居芝居してほしかった。ロケというより舞台(+CG)での撮影が多かったようだし。

まあ、それにしても、歌って生きていきたいと思った。人生がオペレッタみたいだったらいいのに。

HMVでナクソスのCD3枚。
深井史郎「パロディ的な四楽章」
バルトーク「不思議なマンダリン」
スティル「交響詩『アフリカ』」

中学生の時分、黛敏郎司会時代の「題名のない音楽会」でコンガやらマラカスやらいろんなパーカッションが総動員されてる「アフリカ」なんとかという曲をやっていたことがあった。田舎のレコード店に「交響曲だと思うんですけど、作曲家が分からないんですけど、アフリカ何とかという曲で……」と聞いたもののもちろん特定できず(この店では吉松隆のギター曲を注文して購入した思い出がある。つまり、今に連綿と続く趣味嗜好の発祥の地がこのレコード店なのである)長らく気になっていた曲があったが、もしかしたらこのスティルという作曲家のこれかもしれない、と思い買わずにはいられなかった。今聴いてみたら、そんな気もするしそうじゃなかった気もした。ただ「交響詩『アフリカ』」、これが世界初録音らしい。そりゃ見つからなかったわけだ。
深井史郎は四国のN先生に勧められるがままに。しかし、ナクソス片山杜秀プロデュース「日本作曲家選輯」は大ヒットですなあ。クラシックといえば外国人でしょ、というのを木っ端微塵にしてくれてるんだろうし、聴きたくても聴けなかった発掘に成功してるし、文化史研究に一役買ってることは間違いないし。片山氏による解説はまた後でゆっくり読もう。
バルトークのはパントマイムのための音楽であって、その内容が「不道徳の極み」だったらしく、R15指定とかそんな感じのものだったらしいから、興味深い。
「序奏―若い娘と三人のならず者」から「娘はもはや抵抗しない―抱擁」まである。ちょっと、たしかにすごそうな話ではある。