『成熟と喪失』の既知感について/木村カエラと千代田線/島本理生のまっとうさ/中戸川吉二

江藤淳『成熟と喪失』。後半部を一気に読む。論の最終局面になって庄野潤三の『夕べの雲』が俎上に乗るんだが、このあたりから俄然目が冴えてきて面白かった。友人Uが若い頃の庄野潤三はスリリングだ、みたいなことを言ってたのをよく憶えてるんだが、そうかこういうことだったのかと思う。そして無性に『夕べの雲』を読みたくなる。批評とは最高の書評たりうるのだなあと思った。読んでいて、なんか聞いたことあるような話だなあとか思ったんだが、そんな既知感は要するにこの論考を下敷きにした文学論をいろいろ大学の時分に読んでいたことに発するんだと思う。それほど、大きな論なんだなあと思う。と同時に、江藤淳のエッセイ『夜の紅茶』とか『アメリカと私』とか『犬と私』(『犬と私』は『古本道場』で角田光代が見つけて買っていた)を読んでみたいと思った。

引き続き「QJ」讃。
ひとつは木村カエラインタビューのこの質問と答え。(興奮して赤線を引っ張ってしまった)

――綾瀬から原宿に出るのってどんな感覚なんですか?
カエラ 千代田線で一本なんですよ。千代田線で綾瀬から明治神宮前(原宿)まで行く感じは凄い好きでしたね。(…)

答えはまだ続くんだが引用は差し控える(著作権上なんかあるのかな、やっぱり。勉強しなければならない切実に)。
木村カエラは綾瀬に住んでいて、小6のとき(1996?)に原宿でスカウトされる。この、東京の空間性にビビッドに食い込んだ質問は、たとえば「ロッキンオンジャパン」で出てくるかどうか。しかもカエラの答えがまたよい。周縁から中心へ向かうまさに祝祭性をきちんと身体に記憶している(笑)ことがよく分かる答えなのだ。インタビューは難しいが、こういう瞬間に遭遇できるといいなあと思う。じつは一見単純なこういう質問をできるようになるのがまた難しいんだが。

もうひとつは島本理生による結婚についての短文。
非常にまっとうなことを書いている。若いのにしごくまっとう。

少なくとも結婚前には、絶対にこの人と一緒だ、という覚悟を持って臨んでこその結婚ではないかと私は思う。

木村カエラは1984生まれ。
島本理生は1983生まれ。
中戸川吉二は1896生まれ。

出社前に中戸川吉二「寝押」(『名短篇』所収)を読む。短篇のフィニッシュはこうでなくちゃ。軽く余韻が残る感じがよい。