桜桃忌だった

昼はおじさん一人激怒させ、乗ったタクシーの対応がひどかったのでその会社にクレーム電話をかけるという、ささくれだった日曜日。
拝島のほうへ向かうJR車内でも、ドアから顔を出そうとした子供に「何やってるの、何考えてるの?」と何度も同じフレーズでしつこく叱る母の声だけがよく聞こえてくる。ささくれ立つ日曜日。

手帳を見ると「桜桃忌」。
毎日新聞の「日記を読む」といった連載(坪内祐三)は木山捷平が残している桜桃忌、6月19日の記述から。初めは仲間内だけで10人そこらの小さな会をやっていたのが、太宰作品が教科書に載ってから? 若い学生たちが続々と押し寄せる会になり、200人規模の大イベントと化したという。それに「寂しさ」を感じた木山は「イベント」には参加しなくなってゆく。ちょっと切ない話ではある。
東京に来てまずは三鷹の太宰の墓参りに行ったという綿矢りさも、生まれる時代が違ったら、小脇に文庫本を抱えて桜桃忌に参加していた向きかもしれない。とか思う。