ゴダールな朝

朝、日比谷シャンテ・シネでゴダールの「アワーミュージック」。
あとからいろいろと考えさせられた。映像の中にいろんな考えるヒントが散らばっている。基礎知識(ゴダールサラエボに関心があるとか)なしで見たので、ちゃんとした鑑賞ではなかったと思うんだけど、いろんなこと考えたからそれはそれでいいと思うことにする。
一番気になったのはゴダール自身が映画の中で語る
「想像的な確実さ、現実的な不確実さ」
という言葉。これはその前に言っていた「努めて物事を見ること。努めて物事を想像すること。前者は〝目を開けて見よ〟、後者は〝目を閉じよ〟ということだ」というゴダールの言葉に重なる。パンフレットで青山真治ゴダールは大事なことを二回くりかえすことを踏まえていたので、きっとこれも大事なことなんだろう。ていうか、主人公も目を閉じ、目を開けているのが強調されていたし。何となく、フリードリヒ・キットラーな言葉なんだなあ。
イメージは編集される/リアリティはありのままのものである。編集というとそこにウソが混ざる感じ、恣意的な操作がされる感じがまとわりつくんだが、現実を捉えるときに想像(力)が欠けてしまうとバランスを崩したままに現実を捉えることにもなりかねない。そこにある現実を無条件に飲み込むことの危険性? たとえばファシズムっぽい雰囲気の中で、目を閉じて想像することは、「現実的な不確実さ」に対抗するための「想像的な確実さ」をもたらす。

よくわからなくなってきた。
パンフレットは青山真治のほか、野崎歓菊地成孔森達也北小路隆志が登場。森達也が「この作品はメディア論を言っている」みたいなことを語っていて、ああそう思う人もやはりいるんだと思った。