つけめんの意味がわからない

飯能駅前に「丸永」というつけめん屋があったので、暖簾をくぐる。といってもちょうど暖簾をしまった直後に強引に入ったんだが。若いおにいちゃん方でやっている店だった。つけめんが売りなので素直につけめんを食べる。熱いつけだれに冷たい麺。麺をつけるごとに自然とたれはぬるくなっていく。これってどうなんだろう。麺さえあったかくしていれば、もっとうまかろうに。池袋の、店主が婦女暴行で逮捕された店のななめ下にある大勝軒の系譜のつけめん屋は量が多くて辟易したが、「あつもり」というくらいあって、ちゃんとあったかい麺だった。とはいえ、つけめんって改めて考えるとちょっと意味がわからない。単に今日食ったつけめんが冷めていたことに憤りを感じているゆえの暴論なんだが。
飯能から池袋に出るさい、向かいに座っていた老爺と孫。
孫「鮎、鮎」
爺「浜崎あゆ」
孫「ニジマス、僕好き」
爺「魚か」
というイントロダクションからしだいに前衛的な会話は弾みだし、
孫「1、2、3……128、129」
と数字を永遠に唱え出すジョン・ケージ君。
でも「130」が出てこず、爺「130が苦手なんだね」。
ゴダールの映画のような会話は、二人が所沢で降りたところで終わる。

夜は千歳烏山駅前のカレー屋「AIAI」。カレーソースが沸騰して出てきてびっくりする。うまかった。
松本清張『虚線の下絵』(文春文庫)「与えられた生」を読みつつ帰宅。ぞわぞわする話だ。