第9とか「12人の優しい日本人」とか宮崎あおいと中国とか

26日。高校生のように、30分105円の平日昼間カラオケをしたりして、夜、有楽町で「アインシュタイン日本見聞録」展。N先生「金子務の『アインシュタインショック』のほうがすごいよ、ずいぶんしかし、手抜きの展示だな」。そのあとガード下「まんぷく食堂」で飲み、四方山話。それこそアインシュタインの弟子・石原純の恋人で歌人でマネキンガールの原阿佐緒の話とか、長谷川天渓とか。

27日。夕方、人と会ってから(山中貞夫の映画の音楽を担当してる西悟郎のことなど話す)渋谷。ブックファースト宮崎あおいの写真集『光』(マグナス・ウナー撮影)とフォトエッセイ『祈り』と豊崎由美『そんなに読んでどうするの?』と『ユリイカ 1月号 マンガ批評の最前線』と久坂葉子『幾度目かの最期』と町田康の『告白』を買ったら、紙袋の紐が千切れんばかりである。そのまま向かい側のフレッシュネスバーガーで『祈り』を読んでいたら、これ、宮崎あおいの「中国紀行文」なのである。

そういえば週刊文春の年末合併号は「中国情報機関の脅迫に『国を売ることはできない』と首を吊った上海総領事館領事」という記事が出てる。で、安倍晋三とか外務省の鹿取克章報道官が記者会見で事実関係を認め(しかし外務省の記者会見は「自殺がありました。でも中国にはちゃんと抗議してるもん。プンプン」としか言ってない、素人目に見てもひどすぎるぞ、あれは)新聞とかニュースでも追っかけている。怖いのは中国の秦剛副報道局長の会見で「報道は事実に基づいてない」とか言うのは、まあ中国だからという感じだが、なんかこう、中国の定例会見の背景が青の会見場って、馬鹿みたいに広そうで、おまけに記者が画面に映ってこないから、まるで名指しで糾弾されてるみたいなんだよな。怖い怖い。

そんな中国の紀行文を宮崎あおいは書いているのだが、滞在先は上海とか物騒なところではなくて、昆明からさらにさらに奥へ進み、雲南省チベットの境目まで行ってしまう。上海で工作員が日本の電信官を死に追い詰めているとき、雲南省明永村では土と雪とたゆたう時間がどこまでも流れている。こうまでも、中国というのは別世界が同居しているのでアルヨ。

で、オーチャードホール新日本フィル下野竜也の第九。第九の前のバーバー《弦楽のためのアダージョ》がよかったけど。ナベツネが死んだらかける曲。

28日。働きマンなので、働く。ばかみたい。
それはともかく、三谷幸喜12人の優しい日本人」。まったく緻密な劇だ。若書きとは思えん。(三谷幸喜の若書きの若書きたる作品は「そして誰もいなくなりかけた」という1975年、中学1年時に書かれたもの)ホンがいいので、俳優陣の豪華さはあまり関係ない。だからもうちょっと安く値段を設定したり、公演回数を増やしてチケットが総国民の手に渡るようにしたり、してほしかったものだ。でも、やっぱり三谷幸喜の最高傑作は「バッドニュース☆グッドタイミング」なんじゃないかと思っている。
この「12人」、映画を見ても、今回の舞台を見てもそうだったが、こう、強くものを言うほうになびく自分がいることに気がつく。