なぜ傘をささないのか

▼「純情きらり」の宮崎あおいは日を増すごとに成長していく。桜子の成長が見事に演技されている。音大受験に失敗し、初めての東京生活を送っていたころからの一年での成長は、それまで以上の人との交流があったので、それなりの成長があってしかるべきなのだが、それが見事に反映されている。東京から岡崎に帰ってきてからの垢抜けた感じとか。▼「初恋」は宮崎あおいが3億円事件をやるというので観てみたら、これもまた宮崎あおいの見事さに出くわす。彼女が演じる少女は1968年に大学受験を控えている。出会った東大生にあこがれる。1967年から69年までが映画の中の時間で、つまり宮崎あおいは高校2年生から大学1年生までの3年間の少女を演じているわけだ。その、少女の変化がうまい。東大生の岸(小出恵介)があまり変わらないのに対して、少女は変わっていくのが大きい。まあ、小出恵介がぼんやりとした演技しているので、どうしても宮崎あおいに集中しなくてはならなかったんだが。小出恵介森田健作みたいだった。▼ところで3億円事件のあった1968年といえば、学生運動の年。佐世保エンタープライズ事件があり、日大紛争が起こって、翌年1月18日には東大安田講堂事件が控えている。「初恋」は3億円事件がそういう時代に起きたことに重点を起きたがっていたようで、だからこそ3億円強奪計画を語る東大生には「おれは権力と頭で勝負したい」みたいなことを言わせている。この映画、じつは3億円事件を山場にはしているものの、それを描いた話ではないはず。東大生の言葉にあるように、あくまで3億円事件は反権力の示威行動、彼と彼女にとっての青春のひとこまでしかないふうにみえた。▼しかし、なんで彼は3億円事件を仕掛けたのか。彼女は彼に引きずられたとして。宮崎あおい小出恵介もところどころ土砂降りのシーンで傘を指せばいいのにささない。傘をささない行為が思わせるのは反抗ってやつでしょうか。でも権力への反抗、それだけが動機なんだろうか。3億円事件を彼らの「風景」として描くのはいいと思ったが、じゃあなんでよ、というところへの答えがみえない。彼らのスタンスもまた風景としてぼんやりしてる気がする。▼事件当時、新宿はもちろんいまほど明かりがたくさんあるわけでもなく、夜の路地裏は暗かったんだと思うが、そのへんの細かさが映画にはあってよかった。しかし、宮崎あおいが1969年に東大に合格しているのは変じゃないかしら。1969年は安田講堂のことがあって入試が中止になっている。1969年の東大新入生って存在するのだろうか(学生になった宮崎あおいの部屋に永山則夫逮捕のラジオニュースが流れたりしてて、そこまでディテール組んでるのに)。合格したのは東大じゃないのか、あれは。気になる。