追悼読書 高松宮妃喜久子

昨年12月18日に敗血症でおかくれになった高松宮妃喜久子(1911-2004)の『菊と葵のものがたり』を読む。逝去のニュースのときに顔を見て、長谷川京子の晩年はこういう顔になるに違いないと思い、興味を持ったので。動機は不純。
面白い人。さばけたお姫様なんだなあ。徳川慶喜の孫で、趣味人になってからの慶喜を少しおぼえているとのこと。慶喜の大河収録に遊びに行って(そのときの案内役が元会長海老沢勝二だったわけだが)「モックン」と会って握手をしたかったけど「まわりにあまりに人がいるからやめちゃった」。かわいい人だなあと、その口調からもうかがえる。そしておてんば。「芦の湖で大怪我した話」「タイヤを落とした話」「飛行機のタラップから落ちた話」と事故ものが多くて可笑しい。車(ブルーバード)をひとりで運転してゴルフ場に行っちゃったりしてるし。それで「清瀬のあたりをいい気持ちで八十キロぐらい出して飛ばしていたら、白バイがサイレンを鳴らして追いかけてきたの」。で、「おまわりさん」に免許証を見せたら畏まっちゃって「ここは四十キロ規制になっております」と何事もなくゴルフへ送り出してくれた。でも帰ったら宮内庁から電話があって「警視庁より連絡がありましたが、スピードにはお気をつけください」と怒られる始末。もう、フツーのアクティブ婦人だ。
あと、読売新聞が一回喜久子妃を「故人」と誤記したことがあったらしい。それをうけて「私、読売新聞に殺されたって(高松宮の墓前で)言いつけてきたのよ!」と「This is 読売」でしゃべってるのも笑う。誤記のあとあわててナベツネが謝りに行って「その謝りっぷりがあんまりよかったからこの対談(阿川弘之との)お受けすることにしたんです」とは。ナベツネが謝るってのがレア感あっておもしれー。
中でも面白く読んだのが「夜のお江戸見物・はとバス同乗記」。
一般の人と同乗してみる喜久子妃。身元がわからないようにネッカチーフで変装して。鈴本演芸場で正楽の紙きりを見たあとに記念撮影をしたという。

はとバス」夜のお江戸見物の吉例で、鈴本を出たら記念撮影をすることになっていた。店の前へ、知らないオジサン、オバサンも、バスガールも私たち一行も、みんなで並んで写した写真が今もうちに残っている。(p.187)

なんか、いい話だなあと。そんな人がいることも気づかずにニコニコして写真におさまってる「オジサンオバサン」たちのしあわせが伝わってくる。そしてそんなことに気づいてもらわなくてもいいの、とニコニコしてる喜久子妃のしあわせも伝わってくる。