語りえぬものについては……

三崎亜記『となり町戦争』読む。
ある日、僕の住んでいる町ととなり町が戦争を始める。静かに、しかし確実に、戦死者が出ている。でも、僕は実感できない。すぐそこで、「戦争」が起こっていることを。という小説。こう書くと「世にも奇妙な物語」みたいな感じなんだけど、妙に胸に残る作品だった。

「あなたはこの戦争の姿が見えないと言っていましたね。もちろん見えないものを見ることはできません。しかし、感じることはできます。どうぞ、戦争の音を、光を、気配を、感じ取ってください」(p.101)

深い深い山の奥の、だれも足を踏み入れない森の奥で、轟音とともに老木が頽れたとしても、落雷が鳴り響いたとしても、聞くものとてないその音は存在しないも同然ではなかろうか。…僕にとっては僕の歩いた場所が森のすべてであり、そこに足跡が残らない以上、僕は森にはいなかったのだ。(p.194)

僕に向かってかけられた「となり町戦争推進室」の香西さんの言葉。そして僕がたどりついた諦念にも似た考え。対岸の火事とは結局、語りえぬものなのだろうか。彼岸にある痛みは永遠にわかりえぬものなのだろうか。「変わらぬ日常」を生きていく限り、沈黙することが倫理なのだろうか。