きっかけは『東京現代建築ほめ殺し』

tanimurizm2005-03-22


丹下健三逝去、91歳。
阪田寛夫逝去、79歳。
合掌

阪田寛夫はよく庄野潤三の解説など書いてて、仲良しだったんだよね。それで名前は知っている。「サッちゃん」の作詞もそうだったとは。


丹下健三について知ったのは『東京現代建築ほめ殺し』(新潮OH!文庫)。大学3年のときに買ったもので(エントリーシートにこの本のことを何回か書いたことがあるのでよく憶えてる)、現代建築を茶化しながら3人の建築専門家が討議していく内容。おすすめ。東京の見方が変わるよ。
訃報を聞いて本棚からとりだして「丹下健三」の章を読む。
曰く、丹下健三の建築は愛されない。なるほどねえ。
赤坂プリンスホテル、新宿新都庁、代々木体育館、新宿パークタワー、新橋のリクルートのそばにある静岡新聞・放送東京支社、国連大学……。確かに人を拒絶してる建物が多い。赤プリなんか近くを通るたんびに見下されてる感じがするし、そのうち自分が包摂されてしまうような恐怖感さえある。代々木体育館も屋根とかなんか怖いし、静岡新聞は串焼きみたいなおぼつかなげなものが立ってる感じで危なっかしくって近寄りがたいし。
お台場のフジテレビもそう。よく見ると小さな格子の集まりを大きな梁でつないでいる建物で、モンドリアンコンポジションみたいになってる。これを「マストコラムとダブルビームの組み合わせ」と言うそうなんだけど、あの有名な球形展望室があるおかげでかろうじて「観光地」たりえてる。まあ、フジテレビも自分に毒薬(ポイズンピル)注入したりしてるから、また近寄りがたくなったたかもね。
そう。だから建築ってなんだか面白いわなあと思い始めたきっかけはこの本で、建築史に興味持ったのも丹下健三が「ル・コルビュジエ前川國男→丹下→黒川記章・磯崎新」という流れの中にいるということを知ったから。思い出深い本なのです。
丹下の著作に『一本の鉛筆から』という自伝があるらしい。気になる。

今日は不意打ちで部内異動が内示。かなり手痛い異動で脂汗もの。ワタシ何か悪いことしましたか。動揺しながら会社を出て、Kさんの事務所でジンギスカンをごちそうになり、新宿のTSUTAYAで古都ひかる萩原舞やらを物色していたらHさんから電話があって「レディス4」の高崎一郎ニッポン放送の初代DJだったなんて話をとりとめなくし、そしたら12時を回ってしまい、カウンターが普通のビデオを扱う4Fになってしまい、「赤目四十八瀧心中未遂」と「まあだだよ」を追加して借りる。