ずるい男たち――島本理生『ナラタージュ』

本の腰巻には「二十歳の恋」とか「究極の恋」とか惹句が並んでいる。それをさわやかな青春小説のことと読み間違えてはいけないということだった。甘かった。ずいぶんとずっしりと残る小説だった。というのも最後が意外にも重々しいのである。重々しいっていうか格調高き悲劇的結末っていうか。画で言えば17世紀の宗教画って感じかしら。静止画。よくわからないな。ナラタージュとは映画の言葉で、過去語りといったところなのらしいが、過去の余韻が小説の余韻となって、まあものすごいんであった。
なんとなく悲恋な感じなのは薄々分からせる物語なのだが、途中で大学生4人組が長野の友達の実家に遊びに行ってはしゃぐところなど、小沼丹の『風光る丘』のほのぼのさを感じさせるもんだから、すっかりだまされた。だまされたって、島本理生には何の罪もないんだけどさ。
うまいのは、このだまされてしまうほどの人物の普通な困った度の描き方。いるいる大事典とでも言おうか、「いるよなあこんな調子のいいやつ」という、ずるい男の描きかたは心当たりがあるくらい丁寧に書いていたと思う。葉山先生という人にしても、小野君という人にしても、まあずるい(と思う)。でも、そのずるさを許容して、さらにはそれ自体を愛しているという主人公のありかたに、まあ往々にしてそうなのであるよなあ、と思うしかないのであった。そこが、結局いちばんずっしり残った感じ。
よくわかんない感想で、著作権の先生である友人U(ありがとう、ためになった)に満足のいくものであるかどうか。
感想文ってネタばらししちゃいかんし、だけどそれ相応に沿って感想書かないとわけわかんなくなるし、むずかしい。
あと、主人公(20歳)、酒飲みすぎ。