五輪担当相

東京が2016年の五輪候補地に決まったわけである。2012年はロンドンか。もう遠い昔のようだ。決まったのが。石原「またしても不毛」(芥川賞選評)慎太郎が安倍晋三に「五輪担当の大臣は大物を置いていただきたい」と言ったそうな。1964年の東京五輪を控えても五輪担当相というのがいたという。
川島正次郎。
東京五輪を2年後に控え、池田勇人内閣で北海道開発庁長官、行政管理庁長官をやってた川島が任命された。自民党副総裁でもあった川島のことをちょっと紐解くとかなりの人物っぽい。後藤新平の秘書をやって、衆議に。立憲政友党でうまくやって公職追放復帰後自民党で岸派。岸内閣で幹事長。そのあと大野伴睦を担いだかに見せかけて池田勇人を支持。大野死後(死後というのがまたえぐいわけだが)池田内閣で副総裁の座を襲う。「ナンバー2であれ」というのは立憲政友党時代の教えらしいが、その後佐藤内閣でも副総裁で権勢を振るう。「政界一寸先は闇」は彼の言葉で「政界の寝業師」が仇名。……政治家のあくがよく出ている人物である。で、五輪担当相はどんな仕事だったのかというと、当時の国会議事録をざざざっと読む限り各省庁間の調整だったんではないだろうか。べつにもう東京開催は決まってからの大臣だったし、招致に尽力したわけでもない。もし安倍政権でポストおくんだとすれば招致にも力入れるんだろうか。石原伸晃がやるんじゃないの。大物でもないけど、親子二人三脚でどうぞというかんじだ。