殿中でござる

当日券狙いで国立劇場「元禄忠臣蔵 第一部」。思いのほか簡単に取れた。梅玉浅野内匠頭。前も梅玉観たとき、こういう薄幸の王子みたいな感じだった。松王丸(菅原伝授手習鑑)か。吉良が一瞬しか出てこない。へー、と思う。歴史に残る名ゼリフ「殿中でござる」は梶川与惣兵衛という人物の言葉と知った。で、梶川与惣兵衛。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B6%E5%B7%9D%E9%A0%BC%E7%85%A7
「梶川日記」は赤穂事件の第一級史料であるのだが、これは読むと面白そうだ。というのもウィキペディア上のこの記述が気になったから。

また梶川はその後の赤穂義士四十七士の討ち入りで高まっていく浅野びいきの空気の中で、いろいろ辛い思いもしたようである。梶川日記の最後には「この事件のことを色々知ることになった今となれば、内匠頭殿の心中は察するにあまりある。吉良上野介殿を討てなかったことはさぞかしご無念であったろう。本当に不意のことだったので自分も前後の思慮にまで及ばなかったのである。取り押さえたことは仕方なかった。」と言い訳が添えられている。

今日忠臣蔵を観て、思ったことのひとつは赤穂事件と世論のことだった。(もう一つ考えていたのは「サラリーマン忠臣蔵」がどんなストーリーだったかということ。観たことがあるのは「続・サラリーマン忠臣蔵」のほうだったようだ。前者は仮名手本忠臣蔵を手本にしてるらしく、これは観たいと思っているところ)吉右衛門大石内蔵助は喧嘩両成敗で主君を裁かなかった幕府に対して赤穂城を開城して引き渡すか、それとも反旗を翻して篭城するか筆頭老中として家臣から判断を迫られる。が、昼行灯と仇名される内蔵助は判断を留保したままうろつく。彼は最終的に「たとえ唐天竺をも持つ広大な国として浅野家が御家復興しても吉良殿が生きているなら武士道にもとる」という声に押されて討ち入りを決断するが、それまでに彼が気にしているのは世論(公論)のように思えた。ある箇所では主君に非あらずとする声が江戸で多いですよ、と使者に伝えられて「おおお」と咽び、ある箇所では帝も浅野を責めていないと聞き及び「あああ」と泣く。ある政治判断には世論がはたらくことはいうまでもないことだが、外聞を気にすまいとする武士の判断にも世論は働きかけていたのかなあと単純な思いを抱いた。いわゆる「浅野びいき」という世論はどんなふうに形成されて、それは日本の世論史(?)としてはどんなところに位置するのか気になった。
ところで「殿中でござる」は浅野が吉良を襲ったときに出てきた言葉だが、今日の舞台では吉良が運ばれてから大広間で浅野が狼狽しながら切腹しようとするのを梶川が止めるときに「殿中でござる」と言っていた。これは史実なのだろうか。
原作は青山青果で、びっくりしたのはこれ、『キング』連載だったのだ。『KING』というのがしかも講談社から新しく出ていて、気になったので国立劇場の帰り道買ってみたが、恥ずかしいので電車でも読めなかった。宮崎あおいダライ・ラマと対談していたりしてよく分からないことになっている。それについてはまた触れよう。