雨の日は鬱鬱と

歯がしくしく痛み、北枕で寝て悪夢を見、寝相が悪くて腰をひねり、寝汗で風邪を引き、秋の夜長に本を読む気力だにない。現代ポスト、AERAと目を引く記事もなし。短歌研究新人賞の野口あやこさん(19)の記事を朝日かなんかで見た。顔がものすごく白くて、横顔に凹凸の無い感じで不思議だった。22日の日曜日の産経に小島なおさんの3首あり(たまに産経の日曜日に載っているんだが見るたびに角川春樹の俳句の日にぶつかる)。

雑誌雑覧

今週の雑誌から。「週刊ポスト」は「韓流『全自動』セックスマシーン」という最新機器を新人記者氏が体験するゆるいワイドがうけた。「週刊現代」のモノクロ最終ページに加藤編集長の一言が載っているのだが、これで長谷川櫂に触れているから驚いた。なんだと思ったら連載してるという。知らなかった。「国民的俳句一〇〇」という本にすることが前提のような連載があった。週刊誌のコラムはその編集長の嗜好がものすごくはたらいていることがままあると聞くが、これは編集長の嗜好なのか、出版部から降ってきたものなのか知らない。それはそうと今週は石田波郷を取り上げていた。そこで長谷川櫂は波郷の「切れ字」が戦前戦中の軍靴の音のようなイメージだったのではないかというようなことを述べていた。終戦後の波郷は切れ字を使わなくなった、のだそうだ。〈雁や残るものみな美しき〉も出征前の句。今朝読んだ日経かなんかで坪内稔典攝津幸彦についてコラムを書いていた。〈南国に死して御恩のみなみかぜ〉。なんか美しい句で好きなんだが、坪内稔典は少し右翼的な感じもするが、と付け加えていた。無自覚に美しさを感じることは少し怖いことかもしれない。「AERA」はワーキングプアについて特集してた。今けっこう関心を持っているので読んだ。

殿中でござる

当日券狙いで国立劇場「元禄忠臣蔵 第一部」。思いのほか簡単に取れた。梅玉浅野内匠頭。前も梅玉観たとき、こういう薄幸の王子みたいな感じだった。松王丸(菅原伝授手習鑑)か。吉良が一瞬しか出てこない。へー、と思う。歴史に残る名ゼリフ「殿中でござる」は梶川与惣兵衛という人物の言葉と知った。で、梶川与惣兵衛。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B6%E5%B7%9D%E9%A0%BC%E7%85%A7
「梶川日記」は赤穂事件の第一級史料であるのだが、これは読むと面白そうだ。というのもウィキペディア上のこの記述が気になったから。

また梶川はその後の赤穂義士四十七士の討ち入りで高まっていく浅野びいきの空気の中で、いろいろ辛い思いもしたようである。梶川日記の最後には「この事件のことを色々知ることになった今となれば、内匠頭殿の心中は察するにあまりある。吉良上野介殿を討てなかったことはさぞかしご無念であったろう。本当に不意のことだったので自分も前後の思慮にまで及ばなかったのである。取り押さえたことは仕方なかった。」と言い訳が添えられている。

今日忠臣蔵を観て、思ったことのひとつは赤穂事件と世論のことだった。(もう一つ考えていたのは「サラリーマン忠臣蔵」がどんなストーリーだったかということ。観たことがあるのは「続・サラリーマン忠臣蔵」のほうだったようだ。前者は仮名手本忠臣蔵を手本にしてるらしく、これは観たいと思っているところ)吉右衛門大石内蔵助は喧嘩両成敗で主君を裁かなかった幕府に対して赤穂城を開城して引き渡すか、それとも反旗を翻して篭城するか筆頭老中として家臣から判断を迫られる。が、昼行灯と仇名される内蔵助は判断を留保したままうろつく。彼は最終的に「たとえ唐天竺をも持つ広大な国として浅野家が御家復興しても吉良殿が生きているなら武士道にもとる」という声に押されて討ち入りを決断するが、それまでに彼が気にしているのは世論(公論)のように思えた。ある箇所では主君に非あらずとする声が江戸で多いですよ、と使者に伝えられて「おおお」と咽び、ある箇所では帝も浅野を責めていないと聞き及び「あああ」と泣く。ある政治判断には世論がはたらくことはいうまでもないことだが、外聞を気にすまいとする武士の判断にも世論は働きかけていたのかなあと単純な思いを抱いた。いわゆる「浅野びいき」という世論はどんなふうに形成されて、それは日本の世論史(?)としてはどんなところに位置するのか気になった。
ところで「殿中でござる」は浅野が吉良を襲ったときに出てきた言葉だが、今日の舞台では吉良が運ばれてから大広間で浅野が狼狽しながら切腹しようとするのを梶川が止めるときに「殿中でござる」と言っていた。これは史実なのだろうか。
原作は青山青果で、びっくりしたのはこれ、『キング』連載だったのだ。『KING』というのがしかも講談社から新しく出ていて、気になったので国立劇場の帰り道買ってみたが、恥ずかしいので電車でも読めなかった。宮崎あおいダライ・ラマと対談していたりしてよく分からないことになっている。それについてはまた触れよう。

バイオられる

先日の東京新聞夕刊で千野帽子小杉天外の『魔風恋風』についてふれていた(「文藝ガーリッシュ2」)。「犯られる」と書いて「バイオられる」とルビがあることを紹介していた。バイオレンスのバイオ。そんな言葉出てきたことを忘れていたので笑った。『魔風恋風』の主人公が冒される病気は「脚気衝心」。磯田道史孝明天皇」読んでたら、徳川家茂の死因は「脚気衝心」だったらしい。かっけしょうしん、と読むらしい。家茂だけでなく、家冶、家定もこれで死んだみたいだ。その辺は新潮新書の『徳川将軍家十五代のカルテ』(篠田達朗)にくわしい。

夢を与える

日曜日に府中市美術館へ駆け込む。気にしていた「浅井忠と関西美術院展」の最終日。見てよかったなあと思った作品は、黒田重太郎「閑庭惜春」、須田国太郎「村」。黒田作品はタキシードの父と着物の母娘(たしか)と犬が庭で並んでいるんだが、みんな視線がどっかに飛んでいて、背景の緑が変にみえる奇妙なところが面白かった。須田作品はピンク紫な色調で村の屋根屋根がフェルト生地のようなぼわぼわ感で描かれている。キュビズムだなあ。この展覧会は京都市美術館に引き継がれるらしい。チラシが傑作。カタログより完成度高い。
「群像」11月号、評論で太いのが二本。加藤典洋「太宰と井伏」は未読。原武史「滝沢コミューン一九七四」は私小説的な雰囲気もあって面白いですぞ。あと「文藝」冬号は新芥川賞作家伊藤たかみの特集だが、伊藤たかみの前(中村文則)の前(阿部和重)の前(モブノリオ)の前の芥川賞作家が芥川賞受賞第1作ということで「夢を与える」で復活の体である。こういう新境地か、というかんじ。社会にコミットしようとしたんだろうけど、この人の作品の好きなところは「蹴りたい背中」の「ハツ」と「にな川」が保っていたような〝距離感〟の書き方だったんだけども、今回はそれが薄れた。描く時間がロングスパンなのも初めての試みだし、背景(芸能界!)を書くというのももちろん初めてで、彼女独特の濃さが希釈された気がしてならない。ただ、うまいっちゃうまいわけで、隠れ前作の「You can keep it.」でテーマにしていた「与える」ということをちゃんと考えたんだなとは思う節々がある。きっちりおとしどころをつけている話の作り方もいいんだけど、しかしこの人にしてはずいぶんやな感じに終わったなあ、と思った。そのへんやはり、社会に背景を開いてみた分の損失じゃあないか。あと、けっこうなシーンがあるんだが、そこに「股が割り開かれて夕子の小さい筋肉が」という部分が出てくるんだが、これは「すじにく」? ちくま文庫の「官能小説用語辞典」にはなかった。ついでに、この作品で「リーク」という言葉が何回も出てくるが、この言葉は浮いてる。
談志独演会@東京フォーラム。「やかん」「居残り佐平次」。「左平次に乗り移ろうとしたんだけど、どうもねェ」って終わったあとに反省してたが、憑依していたところはあったような気も。まあそうでも考えないと、行ったのにもったいない。しかしでかいハコで落語というのは大変なことである。

古本の季節

先日は早稲田へ行った。たくさんいい本を見つけたが、そのなかでも気になって買おうとしたが5000円するのでやめた本がある。村上護『阿佐ヶ谷界隈』(講談社)。横にあった同じシリーズの(文壇シリーズ?)近藤富枝『田端文士村』が500円だったので、勝手に間違いだと思ったんだが、目録で確かめたらやっぱり5000円した。高見順が言った「中央線沿線作家」について調べようと思っていたので食指が伸びたが、チト高いのであきらめたのだった。
池袋西口でも古本市である。岩波の文学増刊「円朝」が1570円。定価以上なので困った。版切れてるのかしら。買わず。『安田善次郎の鉄道事業』という本も高かったので買わず。戸板康二の『ファッション300年』とかいう本も『三越の経営戦略』という本と一緒の箱入りだったんだが(しかも三越の社長からの「謹呈」の帯まで入っていた)見送り。買ったのは文庫本2冊。安岡章太郎『良友・悪友』(新潮文庫)、吉行淳之介訳『好色一代男』(中公文庫)。探した原彬久『岸信介』(岩波新書)はなかった。ブックオフに行けばあるだろう。そういえばブックオフで買った105円の芝木好子『冬の梅』(新潮文庫)の表題作、枯淡で絶品だった。しぶいが凛々しい。幸田文を思わせる背筋が伸びるような文体が気持ちいい。

素粒子

二日前くらいの朝日新聞の夕刊のコラム、ではないな、小言というか独り言みたいな連載「素粒子」に小西甚一の『日本文藝史』について言及があった。しかし、朝日は安倍にたいして妄攻撃だなあ・・・